Rudo's Hat Hut

Stardust Alone のボーカリストであり作曲家、流堂エスの「Hat Hut」へようこそ。

「電波系」の文化について

愛してやまないシカゴの来日公演が決定してしまい、私の脳内が破裂したのは数ヶ月前だっただろうか。あれから月日は流れ、なんともう夢の時間は来月に迫っているではないか。活動拠点の大阪を飛び出し、わざわざ東京のジャズ・フェスへ...いや、待てよ。その前にビル・チャンプリンの来日があるではないか!今までで最もシカゴな9月になりそうである。と...こんな感じで、私は今シカゴばかり聴いている。シカゴを聴かねば気持ちが落ち着かない。


こんな私なので、YouTubeでライブ映像を浴びることもよくしている。もちろん検索する際には「シカゴ」と入力し、そこから「Chicago」に変換しようとする。すると、私はその過程で謎めいた言葉を何度も目にすることになる。そして、その"謎めいた言葉"を毎日のように目撃するとなれば、さすがに気になってくる。

私はその検索候補をクリックした。これがきっかけで、後にネット上で大流行する事になるひとつの音楽を知ることができたのは良かった。


・しかのこのこのここしたんたん (鹿乃子のこ  [CV.潘めぐみ] )「シカ色デイズ」

https://m.youtube.com/watch?v=fxPcJTU-A8U&pp=ygUq44GX44GL44Gu44GT44Gu44GT44Gu44GT44GT44GX44Gf44KT44Gf44KT


これは中毒性という意味でかなり優れている楽曲である。「一度聴いたら離れない」という意見もよく分かる。このような音楽は、ジャンルとしては恐らく「電波系」というものに分類されるのであろう(前の記事で書いた、"バズ・ポップ"を提唱した彼に教わった)。これは本当に面白いジャンルで、音楽の芸術性を追及するとかいう私たちのような考え方とは真逆、それよりも楽曲の世界観やボーカルの"可愛さ"=個性みたいなものを最も重視している。すなわちキャラクター重視というわけだ。

このアニメカルチャー主体の考え方はかなり日本らしい。元々"オタク文化"というものが発展してきたからこそ完成された音楽であるといえる。これにより他にはない強烈なサウンドが出来上がり、今では「日本独自のジャンル」として"電波系"は海外でもカルト的な人気を得ている。


私にはこのような楽曲は作れないが(無理矢理近いものを作らされた経験はある...Stardust Alone「GAO!」を参照)、日本の誇れる文化のひとつとして、もっとこのジャンルをアニメカルチャーと共に盛り上げていくのは面白いと思った。こればかりになると、前の記事でも紹介した「バズ・ポップ」現象へ一直線になってしまうが、あくまで海外に向けて、この「電波系」をさらにアピールするという取り組みは是非やってほしいなと思うわけである。


ちなみにだが、上記の楽曲の冒頭で聴くことができる、ギターをミュートしてジャカジャカする奏法だが、その名前が「ブラッシング」というのをこれがきっかけで知った。鹿子...いやシカゴのテリー・キャスが「I'm a Man」等でこの奏法を多用しているため長年気になっていたのだが、このタイミングで知れてよかった。にしてもなぜそこが繋がる。


・Chicago「I'm a Man」

このライブの演奏が最も完成されていると感じている。キャスのプレイは絶好調であるし、ダニー・セラフィンのドラムソロも秀逸。何度見返しても味わいが消えないテイク。

https://m.youtube.com/watch?v=DPZUgfOqAdg&pp=ygURY2hpY2FnbyBpJ20gYSBtYW4%3D

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"曲"で泣く、フュージョンで泣く

今に始まった事ではないが、「泣ける曲TOP10!」みたいなランキングをよく耳にする。しかしこれは、実際には「泣ける歌詞」TOP10であり、"曲"のほうはその歌詞の引き立て役であることが殆どである。その為、これらのランキングものは、「〇〇という言葉、フレーズで胸が熱くなる!」のような解説文をつけられがちだ。作曲家としては、ぜひ"曲"の感動ポイントについても述べてほしいと感じる。


ところで、皆さんは"曲"で泣いたことはあるだろうか。詞メインではなく。私の場合はフュージョンなどが、琴線に触れるどころか、琴線をぶち壊しにくる勢いで感動させにくる。

例えば、日本を代表するフュージョン・バンドであるT-SQUAREは凄まじい。彼らの作品で最も大好きなアルバムが、「Welcome to the Rose Garden」というものなのだが、これには何度泣かされたことか。競馬番組のテーマソングに起用されたらしい、冒頭の「Triumph」がまず世界観を力強く創り上げ、三曲目の「History」で何とも言えない感情にさせてくる。その後もスクエア特有のキャッチーかつ、どこか哀愁も秘められたプレイが繰り広げられ、最後は名曲のアレンジ、再録「Prime Time」で締まる。

このアルバムタイトルや、楽曲名にどのような意味が込められているかは分からないが、私は一曲目が競馬番組のテーマソングだったことから、「Run for the Roses」を連想して、この一連の流れで"馬が走る情景"を思い浮かべながら聴いている。そうすると想像以上の感動が、自然と湧き上がってくるのである。そのため私は、一度このアルバムを聴きながら、競馬を観に行ってみたい...という欲望をずっと抱いていた。実際にそれは今年の初め頃に実現し、広大な芝の上を駆ける馬を見ながら聴いた「Welcome to the Rose Garden」は言葉にできぬほど感動したものだが、この時の思い出はまた別の回に語るとしよう...。


T-SQUAREの他にも、松岡直也高中正義など、フュージョンというジャンルの名盤たちはよく私の涙腺を爆撃しにくる。自分が元々涙脆いからなのかもしれないが、よく泣いた。私もいつかは、人を"曲"で泣かせられるような作品を完成させたいし、できればその作品で自分自身も泣けるような、納得のいく一作を死ぬまでには生み出したい。これは私の大きな夢のひとつである。

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トミー・ショウ (Tommy Shaw) の歌声は不思議だ...

今回はただ、疑問をひとつ言わせていただきたい。スティクスのギタリスト、ボーカリストであるトミー・ショウの歌声はなぜ1ミリも劣化しないのだろう...?長らく現役でパワフルに活動してらっしゃるレジェンド達はたくさんいるが、それでも若干は声質が変化しているというのが普通だ。これはミック・ジャガーでも、ブルース・ディッキンソンでも、ジョーイ・テンペストでも同じである。


だがトミー・ショウは、見た目はかなり変わってしまっているが、歌声に関しては本当に何も変わっていないのだ。おかしい。なぜだ。2024年のライブで演奏された「Blue Collar Man」とか「Renegade」とかを聴いてみても、1983年のライブと同じように聴こえるほどである。ここまでくると誰もがリップ・シンクを疑いたくなるが、毎度アドリブをかましたり、異なった歌唱をしたりするのでその可能性はない。ただただ凄いとしか言えない。これほどまでに歌声を維持できているボーカリストは他にはいないと思う。


ちなみに、「Snowblind」などでボーカルを担当しているジェイムズ・ヤングは声の伸びが悪くなってしまったが、その癖の強い歌唱は健在である。また、2000年代に脱退してしまったメンバーであるデニス・デ・ヤングも引退前の時点では素晴らしい歌声を維持されていた。これを思えば、再びデ・ヤングとバンドが共演しているところも見てみたかったな...と感じる。全盛期のサウンドを再び、そのまんまの形で蘇らせることができるというのはどれだけ幸せなことか。スティクス側とデ・ヤング側の仲がよろしくないので実現は不可能だろうが、ぜひ聴いてみたかったものだ。

トミー・ショウさん、これからも全盛期と全く変わらない歌声を守り抜いてください。そしてぜひ日本でもそれを聴かせていただきたい...!長らく実現していない来日を強く願う。

・Styx「Blue Collar Man」

1983年のライブ映像。全盛期である。2024年現在のライブ映像はオフィシャルなものが無く、リンクを貼っても消されてしまうため、ぜひ皆さん YouTube 等で調べて確認していただきたい。

https://m.youtube.com/watch?v=CDM6v1XhWEg&pp=ygUZc3R5eCBibHVlIGNvbGxhciBtYW4gMTk4Mw%3D%3D

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バズるための音楽 "バズ・ポップ (Buzz Pop)"の問題

近年の音楽シーンを語るにおいて外せないのが、X (旧 Twitter)や InstagramTikTok などでお馴染みSNSというものである。若者たちはこのSNSを駆使して新たな音楽(この場合は彼ら彼女らにとって"新しいもの"、つまり過去に流行した音楽であってもよい)と出会うわけであるが、これらの中で流行するものといえば、「踊り」や「笑い」などの映像ありきの要素が全面に出たものが多く、「音楽そのものを聴かせる」目的の作品は勢いよく流行しにくい傾向にあると考えている。

この現象自体は悪いものだとは思わないが、問題視したいのは、このような作品ばかりが流行してしまったがために、音楽というものが"オマケ化"してしまわないか?という事である。これまでの音楽クリエイターたちは、より良い音楽を作り世間に認めてもらえるよう努力するのが当たり前であったが、現在は音楽そのものの質よりも「踊り」や「笑い」に力を注ぎ、「ネタ曲」などの作品を量産しようとしている人が多く見受けられる。これはもはや、音楽を聴かせるというより、ネタを聞かせるための媒体として音楽が用いられているだけであるように思う。


クリエイター達は、バズりたいがために、このような「バズるための音楽」ばかりを創作するようになってしまったわけだ。現代の音楽に詳しい研究仲間Y君によれば、これらの音楽には芸術性というものが欠如している事が多い印象であり(もちろん中には独自の芸術性を持った上で、バズろうとしている方もいらっしゃるが)、音楽の本質というものを見失っているような気がしてならないという。彼はそれを批判する形で、これらの音楽をバズるためのポップ=「バズ・ポップ (Buzz Pop)」と名付けた。私はこのワードを大変気に入っている。これからの"音楽の進化"を妨げている問題を、このワードひとつで扱うことができるからである。現象としては80年代で言う「産業ロック」と似ており、同じような意味を持つ言葉として捉えてもらえれば良いだろう。


なお、このバズ・ポップ問題を改善するにはどうすれば良いか?というのは私たち未来の音楽家たちが必死こいて考えねばならないのだが、これは恐らくクリエイターの問題ではないように思う。そもそも聴き手側が、SNSの普及などによって(音楽が手に入りやすい状況へと変化したことで)音楽と一対一で真剣に向き合う精神というものを失ってしまったからではなかろうか。「使い捨てされる音楽」のシステムが構築されてしまったのもこれが原因だろう。

1970年代にはプログレッシブ・ロックなんてものが流行したが、このジャンルはアルバム全体をフルで聴かなければ意味がない。"一度しか聴かない"や"一部しか聴かない"では良さが分かるはずもないジャンルである。実際にピンク・フロイドの「The Dark Side of the Moon (邦題 : 狂気)」では、"理解できないから擦り切れるまで聴く→レコード再購入"という人たちが続出し、その影響でロングセラーを記録したとも言われていたりした。今とは真逆の、聴き手側が音楽と一対一に向き合っていた時代だからこそ成功した例と言える。


...若干話が逸れてしまったが、私はいつか再び、聴き手側が音楽と一対一に向き合ってくれる時代がやってくることを祈っている。でなければそれこそ急発展しているAI音楽に業界全てを支配され、どんな音楽でもそれっぽいなら良い/面白けりゃ良いとされる未来がすぐそこにやって来るかもしれない。バズ・ポップというジャンルにはしっかりとした魅力があるが、そればかりが"真の音楽"と誤解されぬよう、音楽を聴く者、そして私たち音楽を生み出す者たちは、今こそ音楽における芸術性とは何ぞや?という事についてしっかり考えておかねばならないと強く思う。

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AORファンが笑顔になれる店、ドトール

私はコーヒーが大好きなため、もちろん茶店に入るのも大好きである...いや、今はコーヒー・ショップ...いや、カフェと言うほうがいいか。特に愛しているカフェは何ヶ所かあるのだが、個人経営系だと天王寺の純喫茶スワン (The Forest Meeting の楽曲「Secret Hotel 〜危険なふたり」MV内にも登場した)、西宮北口のドリーム、住吉大社付近の珈琲館などなど。かなりお世話になっているお店たちである。ぜひ皆さんもこれらの店で美味いコーヒーを飲め。

...しかし、これらは個人経営であるため、もちろんどこにでもは無い。そのため、頻度的にはチェーン店にお世話になることの方が多い。となれば一番よく行くカフェはドトールだ。


ドトールはコーヒーが美味しいのはもちろん、選曲センスがかなり良い(ちなみに前述の西宮北口のドリームも同じくらい良い...クインシーとかベンソンとかが素晴らしい雰囲気を出している)。どんな選曲かというと、前回の記事でも書いたヨット・ロック、AOR系統の楽曲やジャズ・フュージョンあたりの"マニアックな"(ここ大事!)ものを流しまくってるのである。実際私が店で寛いでいたときも、ジョージィ・フェイムだとか、ケニー・ロギンスの「I Believe in Love」などという楽曲を何食わぬ顔で店内BGMとしてかけやがり、勝手に私のテンションを爆上げさせやがった。一体どうしてくれる。なぜそんな曲ばかりを...!


私がサウンドスケープを調べるために読んでいた本「エレベーター・ミュージック・イン・ジャパン」によれば、やはりドトールの選曲というのはコアな音楽マニアからのウケが良いらしく、定期的にSNSなどでも話題になっているらしい。やはり。一体誰が選んでいるのかは分からないが、選んでいる方には大きな拍手と愛を贈りたいものだ。皆さんも是非、ドトールなどの茶店...カフェに足を運んだ際は、店内の音楽にも耳を澄ましてみてほしい。

 

・Kenny Loggins「I Believe in Love」

彼にとって最初のソロ・シングル曲だったはず。初期のライブでは頻繁に演奏してくれていたが、近年はなぜかセトリ入りしてくれない...そしてそのままツアー引退してしまった。大好きな楽曲だったので悲しさあふれる。

https://m.youtube.com/watch?v=8DMEyQFWvqE&pp=ygUfaSBiZWxpZXZlIGluIGxvdmUga2VubnkgbG9nZ2lucw%3D%3D

 

・Georgie Fame「Little Samba」

流れていたのは確かこれではなかったと思うが、この曲はコード進行や音作り、コーラスなど何から何まで素晴らしいので聴いてほしい。いい世界観を持っている。私は一瞬で惚れた。

https://m.youtube.com/watch?v=NQCIBWG8Jyc&pp=ygUeR2VvcmdpZSBGYW1l44CMTGl0dGxlIFNhbWJh44CN

 

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ヨット・ロックの季節、夏。

暑い。夏が来た。最近は黒い服を着ると死んじまいそうになるので、無意識に白い服を選ぶことが多くなってしまっている。「いつも同じ服を着てるな...あの人...」と思われたくはないが、これだけ暑いと些細な事を気にする脳みそも溶けきってしまうため、結局ずっとお馴染みの服ばかり着ている。生きづらい季節だ。

夏は厄介な要素が多いものだが、一旦それは置いておいて、ポジティブに「夏といえば?」ということを考えてみよう。皆さんは何を思い浮かべるだろうか。「海」だとか、「スイカ」だとか、「蝉」だとか...人それぞれだろうが、私の答えはヨット・ロックである。


日本ではAORという呼び名が浸透している(海外でも名称は存在するが、若干意味は変わる)このジャンルは、その名前の通り、乗り物のヨットで寛いで聴くような音楽性をもつ。分かりやすいのは、昨年に亡くなったボビー・コールドウェルの「What You Won't Do for Love (邦題 : 風のシルエット)」、エースの「How Long」、ロビー・デュプリーの「Steal Away」あたりだろうか。特に「What You Won't 〜」は、YouTube にも掲載されている発売当時のライブ映像がハワイで収録されており、その景色も含めて私に大きな影響を与えてくれた。いつかハワイに行って、コールドウェル本人のライブを見てみたい!という夢までできた...彼が急逝したため叶わなかったが。

昨年の8月頃には、わざわざ音楽を聴きに行くためだけに、和歌山県の海を訪れた。蒸し暑い空気に漂う穏やかなヨット・ロックたちのメロディを感じているだけで、私は今天国にいるのではないかと錯覚してしまう。ボズ・スキャッグスの哀愁はより一層深く感じるし、クリストファー・クロスの透明感も増すばかり。美しい海の景色と音楽の融合こそが、私の求め続けている芸術の姿かもしれない。


今年も必ず海を見に行く。金槌人間であるため海に浸かりはしないが、ずっとその景色を眺めていたい。友人からは毎年、私の海の楽しみ方を「イカれてる」と評価される。仕方がないことだ...全て音楽中心で考えてしまう生き方を選んでしまったが故にこうなったのだ。誰に何と言われようが私は、私自身の欲望を満たすため、ヨット・ロックを聴くためだけにクソ暑い夏の海へ行くぞ。(熱中症にだけは気をつけます。)

 

・Bobby Caldwell「What You Won't Do for Love」

前述したハワイでのライブを記録した映像。これ何回見返したものか...私はいつか死ぬまでに、こんな情景の中でライブをしてみたい。

https://m.youtube.com/watch?v=VFMy1aO_LMU&pp=ygUpd2hhdCB5b3Ugd29uJ3QgZG8gZm9yIGxvdmUgYm9iYnkgY2FsZHdlbGw%3D

 

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「サルミアッキ」でわかる味覚の違い

Stardust Alone の楽曲に「サルミアッキ」というものがある。サルミアッキとは、世界一不味い飴とも言われるスウェーデン発祥のお菓子なのだが、その味を人生に見立てた曲である。

この楽曲、全体的にはかなり気に入っているし、評判もいい。中毒性もある。そして何より歌詞がよい。スタアロの歌詞は私が担当してはおらず、愛読家であり小説家でもあるギタリストのSEULが書いてくれているのだが、彼が殴り書きした歌詞が素晴らしいのである。

...一箇所を除いて。


私はコーヒー愛好家である。コーヒーを飲まなくては生きていけないし、多分飲まなかったら死んでしまう。しかし飲みすぎてもカフェイン中毒で死んでしまうので、その葛藤でまた死にかけている。そんな私なのだが、ライブをするたびにこの「サルミアッキ」で、思ってもいないことを歌わねばならない。

問題は「Black coffee よりも不味い飴が」...という歌詞である。なんだと。サルミアッキは確かに不味い。しかし Black coffee は不味くはない。"よりも"だと...?Black coffee は美味しい。丸福珈琲とドトール最高。


SEULは言う。「人生もなにもかも苦いんやから、コーヒーは甘くていいやん?」。なるほど。彼は甘党であり、茶店ではココアしか頼まない。そんな彼にある日 Black coffee を飲ませてみたら、渋い顔をしながらマックスコーヒー飲みたいと言われた。

まあ、この時の感想が「サルミアッキ」にも繋がるのだろう。サルミアッキには勝てないが、その次に不味いものの代名詞として Black coffee が彼の脳内に登場してしまったのは、もしかしたら私が彼に初めて飲ませた Black coffee (私が淹れた coffee) が悪かったのかもしれない。だが、これを歌唱するのが私であるため、まるで私が Black coffee 嫌いのように見えてしまうのには少しばかり"ウッ!"となる。私はコーヒー愛好家である。私はコーヒー愛好家である。


私はいつも自分に「SEULの意見をかわりに語っているだけだ...」と言い聞かせながらこれを歌っている。「Black coffee よりも不味い飴が」と。コーヒーは美味しいからやめられない。かっぱえびせんのように。

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